ソフトウェアエンジニアの分野で活躍する女性がもっと増えてほしいという議論が日本だけでなくさまざまな場所で行われています。 数字で正確に推し量る事は難しいですが、やはり男性が多数を占める業界であるという認識が共有されています。

2013年にサンフランシスコで行われたJessica Lynn Suttlesさんの講演は個人的に目からウロコの内容でした。 歴史を紐解いて見ると、プログラミングへの大きな貢献を残した女性は数多く「女性が切り開いた業界」であるという一面があります。今回は海外で行われた講演や記事から読み取れる内容をまとめます。

その後、Ruby On Alesにてほぼ同じ内容の講演が行われこちらはアーカイブが残っています。(関係ないですが、confreaksはいいサイトですね。)

世界初のプログラマ エイダ・ラブレス

エイダ・ラブレスは世界初のプログラマとして知られているイギリスの貴族の女性です。 1843年にチャールズ・バベッジの解析機関を用いてベルヌーイ数を求めるためのコードを発表し、これが人類初のプログラムとされています。 この時点ではバベッジの解析機関は制作はされておらず、机上での話とはいえ人類が初めてコンピュータに高度な処理を行わせる為のアルゴリズムを考案したという偉業です。

エイダに関しては数多くの記事や著作が残されており、毎年10月には国際エイダ・ラブレスデーとして女性のSTEM分野での認知向上の活動のシンボルでもあります。

世界初のコンパイラ、UNIVAC、COBOLの開発者 グレース・ホッパー

グレース・ホッパーは女性で初めて数学の博士号を取得したアメリカ海軍の軍人かつ科学者です。 グレース・ホッパーの業績は多岐に渡り、現在でもよく知られているものだとCOBOLの開発者であり、またプログラムの不具合を「バグ」と呼ぶジャーゴンを広めた人物でもあります。 また現在では聞かれないA-0 Systemという世界初のコンパイラもグレース・ホッパーの業績の一つです。

軍人だった事もあり、アメリカの軍用艦船などに彼女に由来する名前のものもあるようです。

彼女が生きた時代はアメリカで女性の選挙権が認められたり、軍隊に女性が所属するといった大きな変動が起きておりさまざまな意味でのシンボルになっている女性です。

計算機分野における女性の衰退

1960年代後期までプログラミングは女性の仕事と捉えられており、コスモポリタンの記事「The Computer Girls」はその時代の一節を捉えたものとして知られています。 この記事では写真中の女性、IBMのシステムエンジニア Ann Richardsonとグレース・ホッパーの言葉の引用でコンピュータに関する仕事が女性にマッチしていることを強調しています。

it's just like planning a dinner. you have to plan ahead and schedule everything so it's ready when you need it.
(プログラミングは)夕食の支度のようなもので、事前に計画を立てて、必要な時に準備ができているようにすること。

しかしながらコンピュータの重要性が認識されるにつれ、男性の参入が進み女性の比率は徐々に下がっていきます。 女性のよって発明され、牽引されてきたプログラミングにおける女性の割合は1986年には36%にまで減少します。

また日本ではあまり注目されていませんが、ビデオゲームのコンテンツが男性向けがほとんどある事もこの傾向を助長した可能性があります。 ビデオゲームがきっかけとなってコンピュータに興味を持つというのはある種の王道ですが、近年でもほとんどのゲームが主人公が男性、女性は周辺要素という形態が多くギークフェミニズムの分野ではこれを問題と見ています。

世界初のオブジェクト指向言語 Smalltalkの開発者 エイデル・ゴールドバーグ

時代は下り、人類はオブジェクト指向言語を発明します。 Smalltalkです。そのプロジェクトの主要な参加者の一人がエイデル・ゴールドバーグです。 SmalltalkはScratchの1系の実行環境でもあり、近年までかなり広く使われています。

Smalltalkの開発はアラン・ケイやダン・インガルスも参加しており、エイデルのみによる業績ではありませんが、これまでのプログラミングの歴史からすれば大きな進歩の現場に女性が携わっているのはとても自然なことです。

インターネットの前進、ARPANET / NICの創始者 エリザベス・フェインナー

インターネットの先駆けとして知られているARPANETにも女性の貢献者がいます。 アメリカの情報学者、エリザベス・フェインナーはNICを組織し運営しました。これはどういうことかというと、なんらかの団体がドメイン名を取得しようとした際には彼女の運営するNICにコンタクトすることが唯一の方法だったということです。

現在ではNICはもちろん分散して運営されるようになり、さまざまな事業者を通じてドメイン名が取得できるようになったわけですが、その基礎を設計し運用することがどれだけ大きな貢献かは想像に難くないでしょう。

コンパイラの最適化の第一人者 フランシス・アレン

アメリカの計算機科学者、フランシス・アレンはコンパイラの最適化に関する第一人者であり、女性で初めてのチューリング賞受賞、IBMのフェロー就任といった業績を残している女性です。 エイダ・ラブレス賞も2002年に受賞しており、まさに現在の著名な計算機科学者の一人としてさまざまな講演などを行っています。

コンピューターサイエンスを学ぶ女性の増加こそが鍵

ここまで見てきたように、プログラミングの分野における女性の功績は単に職業としてソフトウェアエンジニアになるという以上のまさに技術の発展の節目節目に大きな部分を占めていました。 現在、女性のソフトウェアエンジニア、プログラマに関する活動でいうとまずは職業プログラマの裾野を広げていくような活動が多く、そういった活動はもちろん重要です。

しかしながら、実際に主要な技術の開発や発展に携わるというトップラインを伸ばす活動にも発展の余地があるように感じます。

例えば日本で幅広く行われている技術カンファレンスではスピーカーのほとんどが男性ですし、基調講演などを女性が務めている例を探すのは非常に難しいように思います。 裾野を広げるだけでなく、トップレベルで活躍するソフトウェアエンジニアにおける女性の割合を増やすには計算機科学に代表される専門教育を受ける若者を増やすことや、実際にキャリアを積み始めた女性が正しく評価され、キャリアを発展させていくことができるような環境作りが必要になるでしょう。

計算機科学を学ぶ学生における女性の割合はアメリカでも20%以下と非常に少なく、日本においても「工学部」全体で見ても20%以下となっています。 当然、社会に出た後のキャリアパスに不安があればそういった工学部に進む女性の学生も増えてはいきません。 義務教育でのプログラミング教育などに代表される啓蒙活動と同時に、技術の革新を導く為の計算機科学の重要性の理解向上、また計算機科学等を学んだ学生を性別を問わず手厚く扱うような姿勢を企業や業界が打ち出していく必要があると感じます。

この記事が女性のソフトウェアエンジニアの活動の拡大や、コンピュータに関する学問に興味を持った若い方が先人の業績について考えるきっかけになれば幸いです。